映画「水曜日が消えた」のネタバレ解説!衝撃のラスト編-伏線を徹底考察

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映画「水曜日が消えた」ってどんな作品?ジャンルやストーリー設定を紹介

7人の人格が入れ替わる青年の奇妙な物語

「水曜日が消えた」は、吉野耕平監督が手掛けた2020年公開の日本映画です。主人公は幼い頃の事故の後遺症により、7人の人格が日替わりで現れるという特殊な状態の青年。それぞれ性格もライフスタイルも全く異なる7人は、親しい友人も持てず、病院の管理下で生活していました。

この奇妙な設定のもと、「7人の主人公」それぞれの視点から物語が展開していきます。特にストーリーの軸となるのは、一番地味な性格の「火曜日の僕」。普段は他の曜日の人格に肩身の狭い思いをしながらも、ある日突然「水曜日」に目覚めたことから、思いがけない事件に巻き込まれていきます。

人格が入れ替わるたび変化する主人公の部屋の様子や、妄想と現実の境界線があやふやになる展開など、非現実的な設定をリアルに描いた心理ドラマとして話題を呼びました。一人の青年の中に棲む7人の人格。果たして彼らの正体とは?そして、失踪した「水曜日」の謎とは?ミステリーとサスペンスの要素を織り交ぜながら、ラストへと急展開していきます。

日常に潜む違和感-曜日の風景

この映画の特徴は、7人の人格を一人の俳優が演じ分けるという、他に類を見ない手法にあります。曜日ごとに入れ替わる人格を表現するため、部屋の様子も装いもガラリと変わります。

例えば、几帳面な「火曜日の僕」の部屋はいつも整頓されていて殺風景な印象ですが、オシャレで自由奔放な「木曜日の僕」の部屋は絵画やインテリアで溢れかえっています。 禁欲的な「月曜日の僕」、荒んだ生活感漂う「土曜日の僕」など、それぞれの人格によって全く異なる日常風景が描かれるのです。

こうした曜日ごとの風景の違いは、一見コミカルでありながら、どこか不穏で歪んだ現実感を演出しています。平凡な日常の中に潜む違和感。その中で過ごす主人公の孤独や不安定さに、観る者は次第に引き込まれていきます。

曜日が変われば街の風景も、人々の表情も変わってしまう。そんな非日常的な世界観から、私たちはいつの間にか主人公に感情移入し、7つの人格のそれぞれの人生に興味を抱かずにはいられなくなるのです。

「水曜日が消えた」のあらすじをネタバレ!脚本が秀逸な展開の連続

(C)『水曜日が消えた』製作委員会

曜日ごとに部屋の中身が大幅に変わる奇妙な設定

物語の主人公は、7人の人格を持つ青年。それぞれの人格は「月曜日の僕」「火曜日の僕」と呼ばれ、曜日ごとに入れ替わって日常を過ごしています。

彼らの部屋の様子を見ると、まるで別の人間が住んでいるかのように全く違う趣向でインテリアが置かれています。整理整頓が行き届いている日もあれば、荒れ放題の日もあり、その落差は相当なものです。

外見や性格だけでなく、人間関係や趣味嗜好まで、曜日ごとに全く別の顔を見せる彼。7人それぞれがバラバラの人生を演じているかのようでありながら、どこかで繋がっているのを感じさせる、不思議な魅力があります。

一方、現実の彼は対人関係に困難を抱えており、病院に通いながら孤独に過ごす日々。そんな閉塞感漂う日常の中、ある異変が起きます。いつもなら火曜日に目覚めるはずの「火曜日の僕」が、水曜日の朝に目を覚ましたのです。

火曜日の僕が水曜日に目覚める逆転現象

いつもなら火曜日の朝に目覚める「火曜日の僕」が、ある日突然、水曜日に意識を取り戻しました。自分がいるはずのない曜日に目覚めた違和感。そして、いつもそこにいるはずの「水曜日の僕」の不在。

この初めての出来事に戸惑いながらも、「火曜日の僕」は水曜日を満喫します。図書館で司書の女性と知り合い、今まで交流のなかった人と打ち解けていきます。

しかし、女性との楽しい時間は長くは続きませんでした。なぜなら、水曜日に「火曜日の僕」が現れたのは偶然ではなく、「水曜日の僕」が姿を消してしまったからだと判明したのです。

一方、「月曜日の僕」も同様に他の曜日の意識を取り込み始めていました。7人の主導権を握ろうとする「月曜日の僕」と、健気に仲間を守ろうとする「火曜日の僕」。真相を追い求める中で、次第に2人の対立が浮き彫りになっていきます。

水曜日に出会ったヒロインとの運命の恋

「水曜日の僕」が消えた水曜日、図書館で出会った司書の女性・瑞野は、「火曜日の僕」にとって初めて心を通わせられる存在となりました。

毎週水曜日だけ顔を合わせるふたり。奇妙な出会い方でありながらも、彼女の穏やかで優しい性格に、「火曜日の僕」は次第に心を開いていきます。

しかし、図書館で過ごす特別な一日を心待ちにする彼に、ある事実が突きつけられます。瑞野と親しくしていたのは、姿を消した「水曜日の僕」だったのです。

彼女との関係は、「水曜日の僕」との思い出の中にしかないことを知った「火曜日の僕」。それでも、彼は水曜日だけの恋人同士として、彼女との一時を大切にしようと決めるのでした。

入れ替わる7つの人格の中で、ひとりの女性を愛する気持ちは、「火曜日の僕」の中で芽生えた、かけがえのないものだったのです。彼女を守るためにも、「水曜日の僕」を取り戻さなければならない。そう使命感に燃える彼でしたが、そこには大きな障壁が立ちはだかります。

月曜日の僕との対立-7人の主導権争い

「水曜日の僕」の失踪の謎を追う中で、「火曜日の僕」は「月曜日の僕」の不穏な行動を察知します。

「月曜日の僕」もまた、他の曜日の意識を取り込み、自分が7人を主導しようと目論んでいたのです。支配的で傲慢な「月曜日の僕」は、「火曜日の僕」を見下し、対立心をあらわにします。

一方、「火曜日の僕」は仲間を大切にし、7人全員の共存を望んでいました。正反対の思惑がぶつかり合う中、物語は緊迫したサスペンスを描き始めます。果たして、彼らは本当は何者なのか?「水曜日の僕」の失踪の真相とは?

ラストに向けて、ますます目が離せない展開が待ち受けています。7つの人格の運命の行方は、「火曜日の僕」と「月曜日の僕」の対決の結果に委ねられることになるのです。

伏線と暗示を徹底考察!「火曜日の僕」視点の先入観の恐ろしさ

視点人物の「火曜日の僕」に対する違和感

「水曜日が消えた」は、主に「火曜日の僕」の視点から描かれていきます。几帳面で真面目な彼は、常に状況を客観視しているように見えます。

しかし、果たして彼の見方は本当に正しいのでしょうか?例えば、「月曜日の僕」は本当に敵なのか、「木曜日の僕」は本当に仲間なのか。「火曜日の僕」から見たそれぞれの人格像には、どこか歪みがあるようにも感じられます。

彼の主観的な語りは、時に先入観に塗れているようにも見えます。観る者は「火曜日の僕」に感情移入しつつも、一方で彼の視点を盲信することはできません。

この不安定な語り口が、ミステリアスな物語の雰囲気を盛り上げていきます。信じるべきは「火曜日の僕」の言葉か、それとも自分の目か。そんな風に観客を混乱させる巧みな演出だと言えるでしょう。

全ての鍵を握る「水曜日の僕」の不在

7人の人格の中でも、「水曜日の僕」の存在は際立っています。なぜなら、彼だけが物語の序盤から行方不明だからです。

一体「水曜日の僕」に何があったのか。ストーリーが進むにつれ、彼の失踪こそが、7人の人格を巡る謎に直結しているらしいことが明らかになっていきます。

「水曜日の僕」と親しかった図書館の司書・瑞野は、彼の失踪の真相を知る唯一の人物のはずです。しかし、「火曜日の僕」の前では沈黙を貫きます。まるで、「水曜日の僕」に何か隠し事があるかのように。

「火曜日の僕」は、彼女との水曜日だけの特別な関係を通して、失踪の謎に近づこうとしますが、瑞野の口からは真実が語られることはありませんでした。むしろ、謎は深まるばかりです。

「水曜日の僕」の不在は、単なる失踪事件ではないことを匂わせます。7人それぞれの人格の在り方、そしてひとりの青年の中に宿る人格の秘密。その核心が、彼の失踪と関わっているのです。

「月曜日の僕」との関係の深層

7人の人格の中で、「火曜日の僕」にとって最大の脅威となるのが「月曜日の僕」です。支配欲の強い彼は、次第に「火曜日の僕」を敵視するようになっていきます。

ストーリー終盤、遂に「月曜日の僕」は「火曜日の僕」に対峙します。そこで語られる衝撃の事実。それは、「火曜日の僕」の記憶違いや先入観によって作られた虚構ではなく、どうしようもないリアルな真実でした。

「月曜日の僕」と「火曜日の僕」。二人の人格は、当初考えられていたよりもずっと近しい関係にあったのです。それは、観る者の予想を超える展開であり、物語は大きな伏線回収へと向かっていきます。

彼らの確執の裏に潜む、哀しい運命の物語。「水曜日が消えた」というミステリーの鍵は、そこにあると言っても過言ではありません。果たして、彼らの因縁の対決が意味するものとは。ラストが近づくにつれ、真相への期待は高まる一方です。

「水曜日が消えた」のラストシーンを再考察!衝撃の結末の深層心理

凄まじい衝撃!「僕」の中の7人はたった2人だった?

物語のクライマックス、「火曜日の僕」と「月曜日の僕」の対決のシーンで、観る者は信じられない事実を目の当たりにします。

「火曜日の僕」の脳裏に浮かぶ、7人の人格たちの姿。しかし、「月曜日の僕」が告げる真実は、それが単なる幻想に過ぎないというのです。

実は当初から、「僕」の中に存在していたのは、「火曜日の僕」と「月曜日の僕」のたった2つの人格だけだったのです。他の曜日の人格は、「火曜日の僕」が作り上げた虚像でしかありませんでした。

「水曜日の僕」が消えたのは、彼が存在しなかったから。図書館の司書・瑞野との恋も、「火曜日の僕」の一方的な思い込みだったのです。

この衝撃の事実は、観る者の心に大きな衝撃を与えます。今まで信じてきた物語の大前提が、もろくも崩れ去ったのですから。私たちは「火曜日の僕」と共に、現実と妄想の境界線で踊らされていたのです。

水曜日の消失と物語の舞台裏

「水曜日の僕」が消えた理由。それは、「火曜日の僕」の中で彼が果たしていた役割が終わったからだと言えるでしょう。

「火曜日の僕」は、自分の中の弱さや孤独を埋めるために、「水曜日の僕」という理想の人格を作り上げていたのです。しかし、「月曜日の僕」との対決を経て、彼はありのままの自分を受け入れる勇気を得ます。

もはや、架空の人格に頼る必要はありません。「水曜日の僕」が消失したのは、「火曜日の僕」が自立したことの象徴なのです。

「僕」の選択と7つの人格の行方

ラストシーン、7人の人格は「火曜日の僕」の中で一つになります。「月曜日の僕」との対決を経て、彼は自分の中の多様性を受け入れたのです。

もはや、曜日ごとに人格を使い分ける必要はありません。「僕」は、自分の中のすべての要素を統合し、一個の人格として生きていく決意をします。

この選択は、今まで分裂していた彼の人生を、一つの物語として紡ぎ直す行為でもありました。バラバラだった7つのピースが、一つのパズルとしての形を成すのです。

こうして、「僕」は新しい一歩を踏み出します。7つの人格から解き放たれ、真の自分を見つめ直すために。その先にどんな人生が待っているのか、観る者の想像力を掻き立てずにはいられません。

「水曜日が消えた」という物語は、一人の青年の心の軌跡を描いた、極めて象徴的な作品だったのです。私たちは彼と共に、人格の迷宮に迷い込み、そして出口を見つけることができたのでした。

ラストに隠された映画製作者のメッセージ

「水曜日が消えた」の衝撃のラストシーンには、映画製作者たちの熱いメッセージが込められています。

「火曜日の僕」が、自分の中の多様性を受け入れるシーン。それは、私たち一人一人が、自分の内なる多面性と向き合うことの大切さを訴えかけているようです。

人は誰しも、心の中に別の顔を持っています。私生活の自分、職場の自分、家族の前の自分。そのどれもが、本当の自分であり、かけがえのない自分なのです。

映画は、そんな私たちに問いかけます。多面性を受け入れ、それぞれの顔を大切にすることの意味を。相反する感情や価値観を、ひとつの物語として紡ぐことの尊さを。

「水曜日が消えた」という作品は、単なるミステリー作品ではありません。私たち一人一人の心の在り方を、真摯に見つめ直すためのメッセージなのです。

ラストの感動は、観る者の心に深く沁み入ることでしょう。そして、私たち自身の人生について、改めて考えさせてくれるはずです。自分という存在の奥深さと、それを愛おしむことの尊さを。

映画製作者たちの思いは、スクリーンの向こうに確かに届いているのです。