「死刑にいたる病」ネタバレ全解説!原作小説と映画版の違いを徹底比較

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「死刑にいたる病」原作小説のあらすじ

主人公・筧井雅也の孤独な学生生活

筧井雅也は心を閉ざした暗い大学生だ。両親は教育者で厳格な家庭に育ったが、一流大学の受験に失敗したことで見放された。大学でもなじめず、うだつの上がらない日々を送っていた。雅也にとって唯一の楽しみは、大学の帰りに立ち寄るパン屋「ボンジュール」。そこで雅也は、店主の榛村大和と知り合う。榛村は雅也の悩みを聞いてくれる数少ない理解者だった。

かつての知人・榛村大和が残虐な連続殺人犯と判明

(C)株式会社クロックワークス

ある日、ニュースで衝撃的な事件が報じられた。連続殺人事件の犯人が逮捕されたのだ。犯人は、雅也がパン屋で親しくしていた榛村だった。榛村は24人もの若者を残虐な方法で殺害していたのだ。優しい人格者に見えた榛村の正体は、史上最悪の殺人鬼だったのである。動機は不明。雅也は大きなショックを受けた。

榛村の冤罪主張と事件の調査依頼

(C)株式会社クロックワークス

雅也のもとに一通の手紙が届く。差出人は服役中の榛村だった。手紙の中で榛村は、最後の事件だけは冤罪だと主張していた。そして雅也に、その事件の調査を依頼してきたのだ。当初は拒否した雅也だったが、お世話になった榛村のために調査を引き受ける。被害者は派遣社員の根津かおる。榛村は彼女を殺していないと訴えていた。

真犯人の浮上と衝撃の真相

雅也は友人の加納灯里とともに、榛村の過去を洗う。すると、衝撃の事実が判明する。実は雅也の実母・真理恵も、過去に榛村に精神的に支配されていたのだ。真理恵は姿を消す前に、榛村の凶行を知ってしまったのではないか?その時、新たな事件が発生。今度の被害者は、根津事件の目撃証言をした金山一輝だった。金山は自殺したように見せかけられていたが、他殺の線が濃厚だった。果たして、金山を殺害したのは榛村なのか?一方、雅也は母・真理恵が残した日記を発見する。そこには、衝撃の真実が記されていた。一連の事件と雅也自身の出生の秘密が、驚くべき形で繋がっていたのだ。

「死刑にいたる病」映画版のネタバレと見所

映画オリジナルの導入部

映画版の冒頭シーンは衝撃的だ。深夜の大学構内を、うなだれた男子学生(雅也)が歩いている。そこに1台の車が近づいてきて、助手席の窓から声をかけてくる。運転席には、見覚えのある中年男性(榛村)が座っていた。「遅くまで勉強かい?偉いね。送ってくよ」。そう言って雅也を車に乗せる。榛村の口調は優しく温厚だが、どこか不気味さを感じさせる。原作には無いシーンだが、ここから雅也と榛村の奇妙な関係性が始まることを暗示している。

榛村大和の異常性がより浮き彫りに

阿部サダヲ演じる榛村は、原作以上に異常性が際立っている。初対面の印象は柔和で人当たりが良いのだが、ふとした瞬間に見せる冷酷な表情が秀逸だ。周囲を気遣うような優しい言動の裏で、歪んだ欲望を隠し持っている。まさに、サイコパスそのものだ。阿部の演技は、普段は良識的でも、それが仮面であることを巧みに表現している。

ラストシーンの衝撃と物語の結末

ラストは原作の衝撃的な展開を踏襲しつつ、映画ならではの演出も加えられている。全ての事件は、雅也の実の父親である榛村の周到な計画だったことが明かされる。雅也を心身ともに支配し、殺人の片棒を担がせようとしていたのだ。最後の対決シーンでは、雅也と榛村の壮絶な心理戦が展開される。しかし、灯里の機転により、雅也は榛村の呪縛から解き放たれる。榛村は逮捕され、雅也は救われるのだった。そして、エピローグ。雅也と灯里が穏やかな日常を取り戻すシーンに、観る者は安堵せずにはいられない。

「死刑にいたる病」原作と映画の違い

ストーリー展開の異同

原作と映画では、基本的なストーリーの骨格は共通している。しかし、細部の展開には様々な違いが見られる。映画版では、榛村と雅也の関係や、連続殺人に至る経緯がより丁寧に描かれている。物語の最後も、原作とは異なる結末が用意されている。原作ファンにとっても、新鮮な驚きがあるだろう。

登場人物の描写や設定の違い

キャラクター造形も、一部異なる点がある。映画オリジナルキャラクターとして刑事の多加賀渉が登場するのは前述の通り。また、雅也の恋人・加納灯里は、映画版の方がしっかり者の現代女性として描かれている。一方、ヒロインの一人・沢口万里は、映画では登場シーンが少なめ。原作で果たした重要な役割の一部が、灯里に振り分けられているようだ。

オリジナルの場面やエピソード

映画版には、原作には無い印象的なシーンが多数盛り込まれている。上述の冒頭シーンをはじめ、榛村と多加賀刑事の対峙シーン、雅也の母・真理恵の回想シーンなど、映画ならではの名場面が続出する。中でも、クライマックスの雅也と榛村の対決は圧巻。心理描写と演技、カメラワークが見事に噛み合った傑作シーンと言えよう。

「死刑にいたる病」の考察とテーマ

歪んだ家族関係と主人公の成長

「死刑にいたる病」の根底にあるのは、歪んだ家族関係だ。厳格な両親の期待に応えられない雅也。母・真理恵の不倫と家出。そして、全てを捻じ曲げる大悪党・榛村。雅也の人生は、歪んだ家族関係に翻弄され続けてきた。しかし、事件を通して真実と向き合う中で、雅也は自らの意志を取り戻していく。こうした、主人公の苦難と成長は、多くの読者の共感を呼ぶだろう。

凄惨な殺人事件に隠された真相

24人もの若者を殺害した榛村。その凄惨な犯行の裏には、一体どのような心理があったのか。作中では、幼少期の虐待体験など、榛村の生い立ちが断片的に明かされる。彼の異常性は、どこかで歪められた過去に端を発しているのだ。同時に、歪んだ正義感から榛村を崇拝する刑事・多加賀の存在も、容疑者への偏見など、刑事司法の問題を浮き彫りにしている。

人間の闇と狂気、そして救済

物語の核心にあるのは、人間の抱える闇と狂気だ。歪んだ欲望に突き動かされ、非情の限りを尽くす榛村。一方、絶望の淵で喘ぎながらも、必死に光明を求める雅也。二人は、言わば表裏一体をなしている。しかし、雅也には「救い」が用意されている。灯里との愛。母の愛。そして何より、自分を信じる勇気。結末に描かれる雅也の再生は、読者に希望を与えずにはいられない。

現代社会への警鐘とメッセージ

本作は、単なるエンターテインメント作品ではない。家族の問題、ひきこもりや育児放棄など、現代社会の闇に鋭く切り込んでいる。特に、24人もの若者を殺害しながら、その異常性に誰も気付かなかったという設定は、人間関係の希薄さを象徴している。同時に、雅也と灯里の再生は、絆の大切さを説いている。これは、愛や信頼を失いかけている現代人へのメッセージと言えるだろう。

「死刑にいたる病」の評価と映画の記録

原作の受賞歴と読者の反響

原作小説は、第10回日本ホラー小説大賞にて大賞を受賞。その後、累計20万部を超えるベストセラーとなった。読者からは、「結末の衝撃が忘れられない」「登場人物の心理描写が秀逸」といった声が寄せられ、ミステリーファンを中心に高く評価されている。ジャンルを超えた圧倒的なクオリティが売りだ。

映画の興行成績と観客の評価

映画版は、2018年10月の公開から20週に渡ってランクインする大ヒットを記録した。最終的な興行収入は21億円を突破。観客動員数は160万人を超え、邦画実写部門では年間6位という記録を樹立している。観客からは、「原作を超える面白さ」「役者の熱演に感動した」など、絶賛の声が相次いだ。

映画化にあたってのキャストとスタッフ

映画版では、錚々たるキャスト陣が集結した。主人公・雅也役には、若手実力派の岡田将生。そして、サイコキラー・榛村役には阿部サダヲ。二人の名演によって、物語は大きな説得力を獲得している。その他、段田安則、黒島結菜、藤原竜也ら、一流どころが脇を固めている。監督は、『悪の教典』などで話題の蜷川実花。彼女の美しくも不気味な映像美が、物語に深みを与えている。音楽も秦基博が手掛けるなど、全方位に渡って超一流スタッフが結集した。

役名キャスト担当スタッフ
筧井雅也岡田将生監督蜷川実花
榛村大和阿部サダヲ脚本河野裕
多加賀渉段田安則音楽秦基博
加納灯里黒島結菜主題歌Mr.Children 「here comes my love」

『死刑にいたる病』は、ミステリーの枠を超えた傑作サスペンスだ。人間の闇と光を鮮やかに描き、読む者の心を揺さぶずにはおかない。映画化によって、その魅力はさらに増幅された。あなたも、この衝撃の物語体験を味わってみてはいかがだろうか。