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「奉教人の死」の登場人物
「奉教人の死」に登場する主要人物は以下の通りです。
- ロレンゾ:物語の主人公。正体不明の美少年として登場し、「さんた・るちや」で信心深く育てられる。後に女性であったことが明らかになる。
- シメオン:元大名に仕えていた剛の者で、ロレンゾを弟のように可愛がる。
- 傘張の娘:ロレンゾに想いを寄せる娘。ロレンゾの子を身籠ったと偽る。
- 傘張の翁:娘の父親。娘を大切に想う。
- 伴天連:宣教師。キリスト教の教えを説く。
「奉教人の死」のあらすじを時系列順に解説!
ロレンゾの素性と信心深さ
物語の主人公ロレンゾは、幼い頃に長崎の「さんた・るちや」という教会の戸口で倒れているところを見つかり、そこで育てられることになりました。ロレンゾは自身の素性について「故郷は天国、父の名は天主」などと話すのみで、詳しいことは明かしませんでした。しかし、その信心深さは群を抜いており、祈りを欠かさない姿は人々を感動させました。
ロレンゾと傘張の娘の関係
やがてロレンゾは元服を迎える年頃となりましたが、そのころ傘張の娘と親密な関係にあるという噂が広まります。しかしロレンゾは傘張の娘からの想いを受け止めることなく、自身の純潔を守り通しました。シメオンは弟のようにロレンゾを慈しみ、ふたりの絆は深いものでした。
ロレンゾの破門と乞食生活
ある日、傘張の娘が自分の子の父親はロレンゾだと名指ししたため、ロレンゾは教会から破門されてしまいます。一転して乞食となり、町端れの小屋で貧しい暮らしを送ることになりました。宗教への想いは変わらず、人目を忍んで毎晩教会に通い、祈りを捧げ続けました。
大火事でのロレンゾの活躍
ロレンゾが破門されて1年余りが過ぎたある夜、長崎の町を大火事が襲います。炎に包まれた傘張の家から、娘の赤子の泣き声が聞こえましたが、あまりの火の勢いに誰も近づけません。そこへロレンゾが現れ、迷うことなく火の中へと飛び込んでいったのです。
傘張の娘の告白とロレンゾの真実
炎の中から赤子を抱いて戻ったロレンゾは、大きなやけどを負い、傷だらけの姿で倒れました。その時、傘張の娘は人々の前で重大な告白をします。自分の子は隣人の異教徒とのあいだにできた子であり、ロレンゾとは関係がなかったというのです。
そしてロレンゾの服が焼け破れると、皆の前で彼の胸に2つの乳房が現れました。ロレンゾは若い女性だったのです。純真な信仰のために自らの女性としての幸せも犠牲にしたロレンゾに、人々は聖人のような尊さを感じ、深く心を打たれました。
ロレンゾの死と物語のテーマ
ロレンゾは傷が深く、息を引き取る間際、「御主も許させ給へ」と呟きました。彼女の生涯は謎に包まれていますが、このラストシーンに込められたメッセージは明確です。信仰の力によって偏見や差別、欲望といった煩悩を乗り越え、魂を純粋に保つことができるのだと。
ロレンゾの最期の言葉と表情は、「奉教人の死」という物語のテーマそのものを雄弁に物語っているのです。
ロレンゾとシメオン、そして傘張の娘を中心に物語は展開していきます。男性として生きることを選んだロレンゾに翻弄される傘張の娘、ロレンゾを無二の親友として慕うシメオン、そしてロレンゾの秘密を知りつつも彼女を「聖人」と崇めるようになる人々の姿が印象的です。
「奉教人の死」の背景と芥川龍之介の意図
キリシタン弾圧の歴史的背景
「奉教人の死」の舞台は、江戸時代初期のキリシタン弾圧期の長崎です。当時のキリシタンは厳しい弾圧下にあり、信仰を守るために多くの苦難を強いられました。芥川龍之介はこの歴史的事実を背景に、キリスト教の教義や精神性に興味を抱き、創作に取り入れたのです。
芥川龍之介が描きたかったテーマ
この作品で芥川が描きたかったのは、聖と俗、精神と肉体の対立です。信仰に生きるロレンゾと、現世的な愛に生きる傘張の娘。この対照的な2人の姿を通して、芥川は宗教的狂信や偏見の愚かしさを浮き彫りにしています。
同時に、信仰の崇高さと、同居する人間の弱さ・醜さも描かれています。肉体を持つがゆえに罪を犯し、それでも魂の純粋さを求め続ける人間存在の複雑さに、芥川は深い洞察を示しているのです。
まとめ:「奉教人の死」から学ぶべき教訓
信仰の尊さと人間の弱さ
ロレンゾの生き方は、信仰の力によって偏見や欲望といった煩悩に打ち克つことができることを示しています。しかし同時に、肉体を持つ人間が魂の純粋さを保ち続けることの難しさも描かれています。私たちは自身の弱さと向き合いつつ、ロレンゾのような崇高な精神性を目指していく必要があるのです。
差別や偏見を乗り越える愛の力
「奉教人の死」が訴えかけているのは、他者への思いやりと寛容の大切さです。ロレンゾを女性と知って以降、人々は彼女を聖人のように崇めるようになりました。これは、外見や立場に惑わされず、一人の人間として向き合うことの尊さを表しています。
私たちは誰しも、ロレンゾのような「奉教人」の死を迎えるべく、自らの偏見と闘い、愛と信仰の力で人と接していかねばならないのです。