【完全版】伊勢物語のあらすじを全125段丁寧に解説!あなたの知らなかった『昔男』の物語

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「昔、男ありけり。」 平安の夢と幻想が織りなす、珠玉の恋物語。 それが、日本文学史上に輝く名作『伊勢物語』です。 主人公「昔男」の数奇な恋路を通して、 平安貴族たちの美意識と感性の機微が描き出されるこの物語。 その全貌を、あらすじを丁寧に追いながら明らかにしていきます。 時空を超えて現代に通じる『伊勢物語』の魅力。 どうぞ存分に味わってください。

伊勢物語ってどんな作品?成立の謎に迫る

平安時代を代表する歌物語である伊勢物語。「昔男」と呼ばれる主人公を中心に、男女の恋愛模様を美しい和歌とともに描いた作品です。全125段で構成されたこの物語は、その叙情性豊かな文体で、日本文学史上に確固たる地位を築いています。

しかし、この名作の作者や成立の経緯については、多くの謎に包まれているのをご存知でしょうか。 「在原業平の日記では?」「藤原公任が寛弘5年に書いたって本当?」など、古来より様々な説が飛び交ってきました。 その根拠の一つとされるのが、『古今和歌集』の序文に見える一節。そこには、伊勢物語が「素性しらぬ人の書きたるもの」と記されているのです。この「素性しらぬ人」とは一体誰なのか。数多の文学者たちを魅了してきた問いであり、今なお決定打を欠いています。

また、伊勢物語を読み解く上で欠かせないのが、『在原業平朝臣集』の存在です。この歌集は在原業平の私家集とされていますが、伝本の信憑性には疑問符も付きます。とはいえ、伊勢物語との和歌の共通性は非常に高く、両者の関係性は看過できません。

さらに、「寛弘五年(1008年)成立説」の根拠となったのが、「寛弘の本」と呼ばれる伝本。藤原公任の書写本とされるこの一本は、伊勢物語の現存最古の姿を伝えるとされています。

このように、情緒豊かな物語の背後には、未だ解明されていない多くの謎が潜んでいるのです。 次章からは、そんな伊勢物語の魅力の核心に当たるあらすじを、時代の流れに沿って丁寧に追っていきましょう。平安の昔に紡がれた珠玉の言の葉が、現代に生きる私たちの心にも響くことでしょう。

伊勢物語のあらすじ:初段「初冠」を中心にわかりやすく解説!

『伊勢物語』は、全125段から成る短編集で、ストーリーとそれに関連する和歌が織り交ぜられながら物語が展開していきます。現代風に例えると、ミュージカルのような感覚です。ここでは、初段の「初冠」を中心にいくつかの有名エピソードのあらすじを、詠まれた和歌も含めて、わかりやすく解説します。

「初冠」


「初冠」とは、成人式に相当し、一人前の大人として認められる儀式を意味します。

かつて、ある男が成人し、春の奈良、春日野へ狩りに出かけました。そこで美しい姉妹を見て、男は思わず心を奪われます。感情に戸惑いながら、彼は自らの狩衣の裾を切り、その上に和歌を書いて女性に送りました。彼が着ていたのは「しのぶ摺り」の狩衣でした。

「春日野の若紫のすりごろも しのぶの乱れ 限り知られず」

この歌を通して、彼は自らの心情を表現しました。その趣向は、彼が着ていた「しのぶ摺り」の模様と「しのぶの乱れ」を巧みに掛け合わせたものでしょう。これに対し、姉妹は「心が乱れたのは私たちのせいではない」と歌で返答しました。

「 ひじき藻 」

昔男がいました。思いをかけた女の元にひじき(海藻)を贈る時に、

「思ひあらば むぐらの宿に 寝もしなむ ひじきものには 袖をしつつも」

と詩を送ります。現代語に訳すると、「思いをかけてくれているのならば、葎(雑草)の生い茂る荒れ果てた家で、ともに寝ることもできましょうに。袖を敷物にしてでも」という意味になります。いうまでもなく、ひじき藻とひしき物(敷物)をかけた歌です。

「東下り」

男性が京都にいられなくなり、東国で新たな居場所を探し、友人を連れて旅立ちます。しかし、道中で咲いている花や出会う人々が京都を思い起こさせ、彼はしばしば憂うつになります。富士山を見ては「比叡山が二十個積み重なったようだ」と比喩してみたりします。

隅田川から船に乗る際も、心は重いままです。見慣れぬ鳥を見つけた彼は船頭にその名前を尋ね、「都鳥」と教えられると、一行は思わず涙にくれます。京都を思い出す度に沈んでしまう彼らは、どこか情けなくもあり、その一方で愛らしくも映ります。この一連のやり取りは、まるでコメディのスケッチのようです。

「武蔵野」

男がある女性を誘拐し、彼女を武蔵野まで連れて行きました。しかし、この男は地方の長官に追われることになり、女性を置いて逃走し、最終的には捕まえられてしまいます。

置き去りにされた女性は、道行く人たちが「この草むらに盗賊が隠れているので、焼き払おう」と言うのを耳にし、困惑します。彼女は状況を何とか伝えようと、「今日は焼かないでください。私と夫もここに隠れています」という歌を詠んで助けを求めます。その結果、無事に救出され連れ帰られました。現代の感覚からすると、このような状況で歌を使って伝えることが面白く感じられるかもしれません。

「芥川」

在原業平という男が、天皇の后である藤原高子を連れ去る、いわば駆け落ちの物語です。途中、夜が更けたため、二人はあばら家に避難します。業平は戸口で見張りをすることにしました。

しかしながら、彼らが避難した家には鬼が出るという噂がありました。夜が深まると、家の中から突如として悲鳴が響きます。この展開は、まるでホラーまたはミステリーのようです。

翌朝、高子は忽然と姿を消していました。実は彼女は家の中に潜んでいた鬼に食べられてしまったのです。業平は、雷の音によって彼女の悲鳴を聞き逃してしまい、彼女の失踪に気付いたときの衝撃で、「昨夜見た露のように消えて死んでしまいたい」という心情を歌に託しました。

業平が愛する人と再び一緒になると思った矢先に訪れたこの不幸。その深い悲しみが物語に色濃く描かれています。

「筒井筒」

『筒井筒』は幼馴染の男女の恋愛を描いた物語で、樋口一葉の「たけくらべ」の題名の由来としても知られています。子供時代、二人は井戸の竹垣で身長を比べながら遊んでいましたが、大人になり互いに愛し合うようになります。

彼らは結婚するものの、後に経済的困難から男が別の女性のもとへと通うようになります。妻は男の行動を静かに受け入れ、夫が外出後に化粧をして外を眺めながら悲しげに歌を詠みます

これを見た夫は心を痛め、彼女のもとへ戻ります。物語は、夫の誤解と妻の内面的な苦悩、そして化粧の意味に焦点を当て、夫婦間の感情的な葛藤と和解を描いています。

「狩りの勅使」

この物語は、色好みで知られる業平の「究極の禁忌」を描いています。

伊勢に勅使として赴いた業平が、斎宮に会いたいと申し出た際の出来事です。斎宮は「特別な存在であるため丁重に扱うよう」との親の言葉に従い、彼に親切に対応します。しかし、業平は彼女に手を出してしまいます

斎宮自身も寝所に出向く行為が問題ありとも考えられますが、彼女は神の使いとされる存在ですから、この一件は特に衝撃的でした。当時、斎宮は推定20歳前、業平は約40歳とされ、その年齢差もまた、業平の行動をさらに問題視させています。彼のプレイボーイとしての行動は、その規模と胆力において際立っています。

「渚の院」

「渚の院」は、ストーリー性を持たず、男たちが花や月を愛でながら歌を詠み、酒を酌み交わす様子を描いています。この段では平安時代の優雅な雰囲気が味わえるだけでなく、身分を越えた交流が表現されています。

中心人物の一人は水無瀬の屋敷を持つ惟喬親王で、彼のお供には名前を忘れた「右馬頭」とされるが、それは業平であると暗示されています。また、親王の伯父「紀有常」も登場します。

物語のクライマックスでは、彼らが狩場である交野で桜を詠みながら酒を楽しんでいるシーンがあり、『古今和歌集』にも掲載されている有名な桜の歌が引用されています。この歌は、桜の美しさに心を奪われ、その儚さに心を乱される春の心情を表現しています。

伊勢物語が持つ魅力と現代的意義

和歌を軸としつつ散文で恋物語を綴る、斬新な文学形式を確立した伊勢物語。そこに描かれる男女の機微は、同時代の『源氏物語』にも通じる繊細さを持っています。昔男を通して、恋の喜びのみならず、そのはかなさや憂愁をも描き出すこの物語は、現代を生きる私たちにも、示唆に富んでいます。

一人一人の登場人物の心の襞まで丁寧に描写しつつ、平安貴族社会の雰囲気をも見事に表現したこの物語。そこには日本人の美意識の原点とも言うべきものが息づいているのではないでしょうか。紫式部が『源氏物語』を紡ぐにあたり、伊勢物語から計り知れない影響を受けたと言われるのも頷けます。

現代とはかけ離れた時空の中で紡がれるこの恋物語が、今なお私たちの心を強く惹きつけるのは、そこに普遍的な人間の真実が宿っているからかもしれません。平安の昔、「昔男」が歩んだ恋路を追体験することで、恋とは、人生とは何かを問い直してみるのも一興でしょう。 今一度、伊勢物語の世界に思いを馳せてみませんか。現代に通じる数多の学びが、そこにはきっと隠されているはずです。