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『地獄変』は芥川龍之介の代表作の一つで、奈良時代を舞台に天才画工・良秀の物語を描いた短編小説です。絵の才能に恵まれながらも、芸術のためには非情になり得る良秀の姿を通して、芸術と人間性の関係性という普遍的なテーマが追求されています。この記事では、『地獄変』のあらすじや登場人物、背景やテーマについて分かりやすく解説していきます。芥川の思想が色濃く反映された『地獄変』の世界観を、ぜひご一読ください。
『地獄変』とは?芥川龍之介の代表作を簡単に紹介
「地獄変」は、日本の文豪・芥川龍之介が1918年に発表した短編小説です。この作品は、奈良時代を舞台に、優れた画工でありながら非情な一面を持つ主人公・良秀の物語を描いています。
芥川が作り上げた唐風の世界観と、物語全体に色濃く反映された仏教思想が特徴的な作品で、芥川文学の中でも異色の存在として知られています。「地獄変」は、芸術と人間性の関係性を問うとともに、芥川自身の芸術観・人生観を投影した作品とも評されており、彼の代表作の一つに数えられています。
『地獄変』のあらすじ:良秀の絵と運命
良秀、大殿に娘を奪われる
良秀は優れた画工でしたが、容姿が醜く、傲慢な性格であったため、人々には嫌われていました。そんな彼には15になる一人娘がいて、溺愛していました。かわいらしく、やさしくて利口な娘は大殿に気に入られ、小女房として邸に上げられます。しかし、良秀は不服でした。娘もあまり大殿を受け入れていないようでした。
良秀は絵を描く度、褒美に何が欲しいかを大殿に聞かれると、「娘を返して欲しい」と答えるのでした。このようなやり取りが続き、良秀と娘に対する大殿の心象は悪くなっていきました。
地獄の絵に魅入られる
ある時、大殿は良秀に「地獄変」の屏風絵を描くように命じました。良秀は「地獄変」を正確に描くために、弟子たちを縛りあげたり、ミミズクに襲わせたりしました。絵を描くために凄まじい執念を見せる良秀ですが、絵が8割方完成したところで、筆が止まってしまいます。良秀は、燃え上がる牛車の中で女官がもだえ苦しみながら焼け死ぬ姿を描きたいが、自分は見たものしか書けないので、車を燃やしてほしいと大殿に頼んだのでした。
娘が火炙りになり、地獄変が完成する
その数日後に、良秀は都から離れた屋敷に呼び出されます。良秀が頼んだ通り、大殿は牛車を燃やすことにしたのです。しかし、そこには良秀の娘が乗せられていました。良秀は驚いて車に駆け寄りますが、侍に阻まれました。
すぐに火がかけられ、牛車はたちまち炎上します。良秀は非常に苦しそうな顔で炎上する車を見ていましたが、その表情は次第に変わっていきます。いつの間にか、目は輝きを放ち、非常に厳かな表情で炎を見つめていたのです。
その1か月後に良秀は地獄変を完成させ、大殿に献上します。絵の出来栄えは素晴らしく、称賛しない者はいませんでした。翌日の夜、良秀は自室で首を吊り、この世を去りました。
『地獄変』の背景とテーマ:芸術と芥川の思想
『地獄変』は、単なる歴史小説ではありません。この作品には、芥川龍之介の芸術観や人生観が色濃く反映されているのです。
物語の舞台は奈良時代であり、仏教思想と唐風の世界観が作品全体に染み渡っています。芥川は、歴史的背景を巧みに利用しながら、普遍的なテーマを追求しているのです。
『地獄変』の中心的なテーマは、芸術と人間性の関係性だと言えるでしょう。主人公の良秀は、芸術のためならば非情になることも厭わない人物として描かれています。彼の姿勢は、芸術至上主義とも解釈できます。
この良秀の生き方には、芥川自身の芸術観が投影されていると考えられています。芥川は、芸術の追求に人生を捧げた作家であり、良秀の非情さは、ある意味で芥川の思想の反映とも言えるのです。
ただし、『地獄変』は芸術至上主義を単に肯定しているわけではありません。娘を犠牲にした良秀の結末は、むしろ芸術と人間性の調和の難しさを示唆しているようにも読めます。
このように、『地獄変』は奈良時代という歴史的背景を借りつつ、芸術と人間性という普遍的な問いを読者に投げかけています。そこには、芸術家としての芥川龍之介の思想と葛藤が凝縮されているのです。