映画「リバー・ランズ・スルー・イット」のあらすじを完全ネタバレ!大自然とフライフィッシングが織りなす感動の物語

「リバー・ランズ・スルー・イット」の基本情報

作品概要

「リバー・ランズ・スルー・イット」は、1992年に公開されたアメリカ映画です。モンタナ州を舞台に、1910年代〜1920年代を生きる一家の物語が描かれます。監督は名優ロバート・レッドフォード、脚本はリチャード・フリーデンバーグが担当。レッドフォードの監督第3作目となる本作は、公開当時から高い評価を受け、不朽の名作として広く親しまれています。

  • 原題: A River Runs Through It
  • 監督: ロバート・レッドフォード
  • 脚本: リチャード・フリーデンバーグ
  • 製作: ジェイク・エバーツ
  • 製作総指揮: ロバート・レッドフォード、パトリック・マーキー
  • 音楽: マーク・アイシャム
  • 撮影: フィリップ・ルースロ
  • 編集: ロバート・エストリン、リンジー・クリングマン
  • 配給: コロンビア ピクチャーズ(アメリカ)、東宝東和(日本)
  • 公開: 1992年10月9日(アメリカ)、1993年9月4日(日本)
  • 上映時間: 124分
  • 製作国: アメリカ合衆国
  • 言語: 英語
  • 興行収入: $43,440,294(全世界)

キャスト

  • クレイグ・シェイファー – ノーマン・マクリーン役
  • ブラッド・ピット – ポール・マクリーン役
  • トム・スケリット – マクリーン牧師役
  • ブレンダ・ブレッシン – ジェシー・バーンズ役
  • エミリー・ロイド – ジェシー・バーンズ(16歳時)役

本作で弟ポール役を演じたブラッド・ピットは、若手俳優として高い評価を得て一躍有名になりました。ノーマン役のクレイグ・シェイファーも、繊細な演技が光る好演。父親役のトム・スケリット、ヒロインのブレンダ・ブレッシンら脇を固める俳優陣も秀逸です。

スタッフ


監督のロバート・レッドフォードは、本作に先立つ「普通の人々」でアカデミー監督賞を受賞。「リバー・ランズ・スルー・イット」でも、家族の絆や人生の機微を巧みに描き出しました。脚本のリチャード・フリーデンバーグは、原作の持つ詩情を映画化する上で重要な役割を果たしています。
撮影はフィリップ・ルースロが担当し、モンタナの大自然を雄大かつ繊細に切り取ることに成功。
第65回アカデミー撮影賞に輝きました。音楽のマーク・アイシャムによるしっとりとしたメロディーも、作品の詩的な世界観を盛り上げています。
以上が「リバー・ランズ・スルー・イット」の基本情報です。スター俳優ブラッド・ピットの初期代表作にして、レッドフォード監督の傑作。合わせて知っておきたい作品データをまとめました。壮大な自然美と家族の絆を描いた不朽の名作を、ぜひ本情報と共に味わってみてください。

「リバー・ランズ・スルー・イット」のあらすじ【ネタバレあり】

釣りが結ぶ少年時代の兄弟の絆

1910年代のモンタナ州ミズーラ。マクリーン牧師の家に、ノーマンとポールという二人の息子がいました。厳格な父のもと、二人は聖書と釣りを教えられて育ちます。幼い頃から川で釣りに明け暮れ、フライフィッシングの腕を磨いた兄弟。ノーマンは真面目で従順な長男、ポールは快活でやんちゃな弟という対照的な性格でしたが、釣りを通して固い絆で結ばれていました。

大人になり別々の道を歩む兄弟

ノーマンは優秀な成績を収め、東部の名門大学へと進学。一方、ポールは地元モンタナに残り、新聞記者として働き始めます。帰省したノーマンと再会を喜ぶポールでしたが、酒とギャンブルにのめり込んでいく弟を、ノーマンは心配そうに見つめます。

ノーマンは大学教授としてシカゴへ赴任が決まり、その前に久しぶりに父との釣りに出かけます。ポールも合流し、豪快に大物を釣り上げる弟の姿に、ノーマンは昔を懐かしく思い出すのでした。

ノーマンの恋とポールの破滅

ノーマンはシカゴで、ジェシーという女性と出会い、恋に落ちます。結婚を考えるほどの仲となった二人でしたが、一方のポールは借金と女性関係のトラブルに苦しんでいました。

ある日、ポールから電話があり、慌てて駆けつけたノーマンでしたが、そこにいたのは借金の取り立て屋たちでした。ノーマンはポールを連れ出し、二人でモンタナへ逃げ帰ります。しかし、借金の取り立ては執拗に続き、ポールの身は危険に晒されていきます。

最後の釣りと弟の死

追い詰められたポールは、ノーマンと最後の釣りに出かけることを決意します。ブラックフット川で、幼い頃を思い出しながら、二人は黙々とフライを垂れます。ポールの乱れた心が、少しずつ癒されていくのを感じるノーマン。しかしその夜、ノーマンの元に悲報が届きます。ポールが何者かに殺されたというのです。

警官から渡されたポールの遺品の中に、ノーマンあての手紙が見つかります。ポールはノーマンへの感謝の言葉と別れを告げていました。ノーマンは、大切な弟を救えなかった後悔と喪失感に打ちひしがれます。

ノーマンの回想と人生を肯定する思い

それから数十年後、ノーマンは再びブラックフット川を訪れます。白髪となったノーマンは、ポールとの思い出を反芻しながら、釣りをします。

「多くのことが流れ去り、忘れ去られる。愛する者たちは去り、最後には自分の命さえ失うだろう。しかし、私には釣りがある。そして何よりも、私の心を流れ続けるこの川がある」

幼い頃に父に教わった言葉を思い出しながら、ノーマンは人生とは喜びと悲しみが混ざり合うものだと悟ります。しかし、そのすべてを肯定し、今を生きることの尊さを感じるのでした。たとえ大切なものを失っても、かけがえのない思い出は心の中を流れ続ける。そう気づいたノーマンは、穏やかな表情で釣り糸を垂れるのでした。

以上が「リバー・ランズ・スルー・イット」のあらすじです。人生の悲喜こもごもが色濃く描かれた物語は、ラストシーンで感動的な昇華を見せます。ポールの死という悲劇を乗り越え、人生を力強く肯定するノーマンの姿は、観る者の心に深く刻まれることでしょう。

監督ロバート・レッドフォードの思いとテーマ

原作への共感と自然・人間・家族への眼差し

「リバー・ランズ・スルー・イット」の監督を務めたロバート・レッドフォードは、本作に人一倍の思い入れを持っていました。レッドフォードは長年に渡って原作の映画化を熱望し、製作を実現させています。
レッドフォードが惹かれたのは、作家ノーマン・マクリーンによる自伝的小説の持つ詩情でした。モンタナ州の雄大な自然を舞台に、フライフィッシングを通して描かれる家族の物語。その背景には、レッドフォード自身の原体験があったようです。監督も生まれ故郷のモンタナで自然と触れ合って育ちました。原作を読んだ時、自らの少年時代を重ね合わせたのかもしれません。
作品の随所に感じられるのは、レッドフォードの自然への愛情です。清流に木漏れ日が降り注ぐ美しい映像は、人間と自然が調和する理想の姿を映し出しています。また、厳格な父と対照的な兄弟の姿からは、家族の絆への温かいまなざしが伝わってきます。俳優から監督へと転身したレッドフォードだからこそ描けた、人間ドラマの機微と言えるでしょう。

信仰、自由、勇気という普遍的なテーマ

「リバー・ランズ・スルー・イット」には、1910年代のアメリカを背景に、様々な普遍的テーマが織り込まれています。レッドフォードは当時の社会状況を巧みに映画に投影し、現代に通じる問いを提示しているのです。
父は聖職者として、長男ノーマンは教師として、弟ポールは新聞記者として生きる道を選びます。信仰を重んじる伝統的な価値観と、自由を希求する革新の精神。その対比は、固定観念への盲従と自己実現の葛藤という、普遍的なテーマを浮かび上がらせます。
また、弟ポールの破天荒な生き様は、自由の追求がときに破滅へと向かう危うさを示唆しています。社会の中で生きることと、自分らしさを貫くこと。それらのバランスの難しさは、現代を生きる我々にも通じる悩みと言えます。
さらに、ノーマンが最後に見せる心の変化は、人生の試練に立ち向かう勇気を描いたものです。大切な人を失う悲しみを乗り越え、新たな一歩を踏み出すノーマン。そこには、辛い現実から目を背けず、前を向いて生きようとする強さがあります。レッドフォードが理想とする生き方のヒントが隠されているのかもしれません。
このように、「リバー・ランズ・スルー・イット」が持つ魅力の多くは、レッドフォード監督の思いに支えられています。モンタナへの愛着、家族を見つめる優しさ、時代に翻弄されながらも生きようとする人々への共感。作品に込められたメッセージは、時を超えて私たちに問いかけ続けているのです。

「リバー・ランズ・スルー・イット」の評価と受賞

アカデミー撮影賞受賞と高い評価

「リバー・ランズ・スルー・イット」は、公開から30年以上が経った今なお、多くの映画ファンから愛され続けている不朽の名作です。本作の最大の魅力は、何と言ってもモンタナの雄大な自然美。その撮影を手掛けたフィリップ・ルースロの功績は特筆に値するでしょう。
第65回アカデミー賞では、ルースロの撮影技術が称えられ、見事撮影賞を受賞しました。エメラルドグリーンに輝くブラックフット川、陽光が木々の間から差し込む森、雪を頂く山々。自然の息吹と移ろいを美しく切り取った映像は、観る者を釘付けにします。ルースロの手腕なくしては、「リバー・ランズ・スルー・イット」の詩情あふれる世界観は生まれなかったかもしれません。
アカデミー賞以外にも、本作は数々の映画賞を受賞。ゴールデングローブ賞では作品賞(ドラマ部門)と監督賞にノミネートされ、全米映画批評家協会賞では撮影賞と脚色賞を受賞しています。批評家から絶賛される一方、観客動員数も非常に良く、大ヒットを記録。若き日のブラッド・ピットの熱演も話題を呼び、彼の名を広く知らしめる作品となりました。

不朽の名作としての地位

「リバー・ランズ・スルー・イット」が愛され続ける理由は、単なる興行的成功だけでは説明できません。本作が持つ普遍的なテーマ性と芸術性こそが、不朽の名作としての地位を築いているのです。

ロバート・レッドフォード監督は、原作の自伝的要素を巧みに映画化し、信仰、自由、家族といった普遍的テーマを映し出すことに成功しました。聖職者である父と、自由を求める兄弟。その対比を通して、伝統と革新のせめぎ合いを描き、時代を超えて多くの人の共感を呼んでいます。

また、モンタナの自然美を生かした映像詩は、単なる絵はがきのような美しさを超えた芸術性を放っています。レッドフォードは「人間もまた自然の一部である」というメッセージを込め、人生の悲喜こもごもを自然の営みと重ね合わせているのです。そこには監督の美学と哲学が表れており、深い感銘を与えずにはいられません。

名作と呼ばれる映画は、娯楽性や話題性だけでなく、このような普遍性と芸術性を兼ね備えているもの。「リバー・ランズ・スルー・イット」が色褪せない作品として、今なお人々の心に残り続ける所以がそこにあります。自然への畏敬の念と人間への深い洞察。レッドフォードが紡ぎだした感動の物語は、時代を超えて輝き続けているのです。

「リバー・ランズ・スルー・イット」の現代的意義

自然と共生する生き方

「リバー・ランズ・スルー・イット」が投げかける最も重要なメッセージの一つは、自然と共生する生き方の尊さです。モンタナの雄大な自然を背景に、マクリーン兄弟が釣りを通して自然と一体となる姿は、現代社会に生きる私たちに多くの示唆を与えてくれます。

都市化が進み、自然との距離が広がる現代。便利で快適な暮らしを追求するあまり、人間は自然の一部であることを忘れがちです。しかし本作が描くのは、自然の中に身を置き、その営みに寄り添う人間の姿。マクリーン兄弟にとって、釣りは単なる趣味ではなく、自然と対話し、生命の神秘に触れる行為なのです。

川の流れのように、人生もまた移ろいゆくもの。悲しみも喜びも、すべては自然の摂理の中にある。本作は、そんな自然との調和の中に、人生の本質を見出すことの大切さを教えてくれます。自然に謙虚に向き合い、その一部として生きる。そうした自然との共生の思想は、今こそ見直されるべき視点ではないでしょうか。

家族愛の大切さ

「リバー・ランズ・スルー・イット」のもう一つの重要なテーマは、家族愛の大切さです。厳格な父と、正反対の性格の兄弟。一見すると相容れないように見える彼らですが、釣りを通して心を通わせ、困難な時には助け合います。

現代社会では、家族の形態も多様化し、絆が希薄になりがちです。血のつながりよりも、個人の自由や利便性が優先されることも少なくありません。しかし本作が描くのは、どんなに対立し、ぶつかり合っても、最後は家族の絆に支えられる人間の姿。弟ポールが窮地に陥った時、ノーマンが身を挺して助けるシーンは、その象徴と言えるでしょう。

血縁だけが家族ではありません。互いを思いやり、支え合う心こそが、本当の家族を作るのです。「リバー・ランズ・スルー・イット」は、そんな家族愛の尊さを改めて教えてくれる作品です。どんな時代も変わらぬ、家族の絆の大切さ。それを再認識させてくれる本作のメッセージは、現代社会において、より一層輝きを増しているように思えます。

困難に立ち向かう勇気

「リバー・ランズ・スルー・イット」が描く人生の困難と、それに立ち向かう勇気もまた、現代に通じる普遍的テーマです。大切な弟を失うという悲劇に直面したノーマン。彼の姿は、人生の試練に打ちのめされながらも、決して折れない心の強さを映し出しています。

現代社会は、便利で快適な反面、ストレスに満ちあふれています。予期せぬ不幸や困難に見舞われることも、珍しくありません。しかし大切なのは、そうした逆境にいかに立ち向かうか。ノーマンが最後に見せた、人生を肯定する勇気は、私たちに大きな示唆を与えてくれます。

辛く悲しいことがあっても、かけがえのない思い出は心の中を流れ続ける。そう悟ったノーマンのように、困難を乗り越える原動力は、愛する人への想いなのかもしれません。「リバー・ランズ・スルー・イット」は、そんな人間の強さと優しさを描くことで、生きる勇気を与えてくれる作品なのです。

このように「リバー・ランズ・スルー・イット」は、自然や家族、そして生きることの意味を問いかける、現代にこそ観るべき映画と言えるでしょう。1910年代の物語でありながら、そのメッセージは色褪せるどころか、より深く胸に響いてきます。激動の時代を生きる私たちにこそ、本作が投げかける問いは、真摯に受け止められるべきなのかもしれません。