わかりやすく解説!シェイクスピアの悲劇『リア王』あらすじを紐解く【人生の教訓も】

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シェイクスピアの悲劇『リア王』は、高齢の王が引退を決意するところから始まる。三人の娘への愛情を試すように王国を分割するが、末娘コーディーリアの答えに怒り彼女を勘当する。やがて欲深い姉たちに裏切られ、嵐の荒野をさまよう羽目になったリアは、人間の本質と向き合う。娘への愛に翻弄され、悔悟と絶望の淵をたどるリアの物語は、私たちに家族の絆と人生の意味を問いかける。本記事では『リア王』のあらすじを場面ごとに分かりやすく解説し、作品に込められた教訓にも迫る。

『リア王』あらすじ:高齢の国王が娘たちへの愛に翻弄される悲劇

『リア王』は、晩年の国王リアを主人公とした、ウィリアム・シェイクスピアの悲劇です。物語は、高齢のリア王が引退を決意し、王国を三人の娘に分割して譲ろうと宣言するところから始まります。
リアには、長女のゴネリル、次女のリーガン、末娘のコーディーリアという三人の娘がいました。国を分け与える前に、リアは娘たちの愛情を試すかのように、「私をどれほど愛しているか」と尋ねます。この問いが、やがて悲劇の幕開けとなります。
リアの判断を曇らせているのは、加齢に伴う判断力の低下と、家族への深すぎる愛情でした。王としての威厳と、父親としての情愛の間で揺れ動くリアの心の葛藤が、悲劇を必然へと導きます。娘たちへの愛に翻弄されながら、リアは自らの過ちと向き合い、人間の本質を問うことになるのです。

1. 三女コーディーリアの答えに怒り、リアは彼女を勘当

媚びへつらわぬコーディーリアに、リアは「プライドが高すぎる」と憤慨する

リアの問いに、長女ゴネリルと次女リーガンは、父への愛情を大げさに述べ立てました。一方、誠実な末娘コーディーリアは、飾り気のない言葉で父を敬愛すると伝えます。
しかしリアは、娘の率直な思いを汲み取ることができません。コーディーリアの返答を「プライドが高すぎる」と受け止め、激怒します。そしてリアは、コーディーリアを勘当し、フランス王への持参金も一切与えないと宣告したのです。
ここに描かれているのは、真心を見抜けない父親の悲劇的な過ちです。コーディーリアを疎んじるリアの判断が、物語の根底にある「家族の絆」というテーマを浮き彫りにしています。リアの過ちは、やがて破滅への始まりを告げることになるのでした。

2. 二人の姉によって城を追い出されるリア

ゴネリルとリーガンの冷淡な仕打ちに、リアは言葉を失う

国を二分したゴネリルとリーガンのもとで、リアは隠居生活を送ります。しかし当初は歓待していた娘たちも、次第にリアを煙たがるようになります。従者の数を減らすようにとリアに迫り、あまつさえ城からの退去を要求します。
「わしの正体は何者だ」。娘たちの仕打ちに、リアは自分の存在意義すら見失ってしまいます。かつては絶対的な権力を持つ王でありながら、今や哀れな老人でしかないのです。
権力を手放した途端に、娘たちの本性を思い知らされるリア。「国を譲った恩を仇で返される」状況は、家族の絆の崩壊を如実に物語っています。老王の自己喪失と、尊厳の剥奪。その悲哀を、シェイクスピアは見事に描き切っているのです。

3. 嵐の中をさまようリア、道化や家来のケントに支えられる

「人間の本質とは何か」リアは混迷の中で自問自答する

行き場を失ったリアは、道化と忠臣ケントとともに、嵐の吹き荒れる荒野をさまよい歩きます。娘たちから裏切られ、打ちひしがれるリア。しかし彼に寄り添い、支えになろうとするのが、道化とケントなのです。
嵐に打たれながら、リアの脳裏をよぎるのは、「人間とは何か」「真の愛情とは何か」といった根源的な問いでした。かつては絶対君主として君臨していた自分が、なぜこのような境遇に立たされるのか。人間の本質をリアは必死に探ろうとします。
「わしは愚か者だった」。王位から転落し、孤独の只中に投げ出されて初めて、リアは人間としての真実に目覚めていきます。権力に盲目となり娘たちの心を見誤った過ち、改めて問い直される血縁の絆。嵐の場面は、リアが自らと向き合う重要な転換点となっているのです。

4. 義理の息子エドガーを陥れるエドマンドの策略

「私は何よりも自分を愛する」野心に駆られるエドマンドの台詞に注目

リア王の悲劇と並行して、もう一つの陰謀が進行します。グロスター伯爵の次男・エドマンドによる、嫡子エドガーへの讒言です。嫡子の座を狙うエドマンドは、兄エドガーを蹴落とそうと画策します。
エドマンドはエドガーになりすました偽の手紙を作成し、父グロスターの前でこれを読み上げます。手紙には、エドガーが父を殺害し、跡を継ごうとしているかのような内容が綴られていました。これを真に受けたグロスターは、エドガーを追放してしまいます。
正当な地位を奪われ、次男として疎んじられてきた不満が、エドマンドを出世への執念へと駆り立てるのです。
義理の息子による一連の策略は、血のつながりと欲望の衝突を浮き彫りにしています。この物語の一角を通して、シェイクスピアは人間の弱さと醜さを鋭く風刺しているのです。

5. 狂乱の淵で、コーディーリアとの再会を果たすリア

自らの過ちと娘への愛に目覚めたリアの涙は、読む者の心を揺さぶる

絶望と狂気の淵をさまよった末、リアはフランスに嫁いだコーディーリアと再会を果たします。リア王はコーディーリアの変わらぬ愛情に触れ、ようやく自らの過ちに気づかされるのです。
リアは涙ながらにコーディーリアに懺悔します。娘を勘当した非情さを悔い、許しを乞うリア。その言葉には、狂気を超えて得た悟りがにじんでいます。
かつては傲慢さゆえに娘を疎んじたリアでしたが、悲劇を経て本当の愛情に目覚めたのです。コーディーリアとの再会の場面は、『リア王』の白眉ともいえる名シーンになっています。

6. コーディーリア率いるフランス軍との戦いに敗れるリア軍

「もう二度と会えぬと思ったが、天国で会えるだろう」リアの言葉に込められた絆

フランス王の助力を得たコーディーリアは、リアを救出すべく軍を率いてフランスへと戻ってきます。決戦の火蓋が切って落とされ、ゴネリルとリーガン率いるイギリス軍とフランス軍が激突します。しかし戦いの結果は、フランス軍の敗北に終わりました。コーディーリアは捕らえられ、処刑されることが宣告されてしまいます。

7. コーディーリアの死を嘆き、絶命するリア

「もうこれ以上悲しみも苦しみもない。全ては終わった」悲劇の幕切れ

処刑の執行直前、エドガーらの助力により一時は救出されるリア。しかしその直後、リアはコーディーリアの息絶えた姿と対面します。
娘の亡骸を目の当たりにし、リアは言葉を失います。かろうじてコーディーリアを抱きしめ、懺悔の言葉を繰り返すばかりです。やがてリアの呼吸も次第に弱まり、最愛の娘に付き添うようにして、ついに絶命するのでした。
権力に目がくらんだ愚かさから、娘への真の愛に目覚め、そして償いを果たす。リアの最期は、罪に対する懺悔の末の、魂の救済を象徴しているのかもしれません。そう考えると、リアの死には、ある種の浄化のようなものすら感じられます。
己の過ちと向き合い、娘への愛を貫いたリア。その生涯は悲劇的ではあるものの、同時に深い感動をも誘います。父と娘の、魂の対話がそこには込められているのです。

『リア王』が示す人生の教訓:愛と傲慢、赦しと後悔

家族の絆を探求し、人間の弱さを赤裸々に描いた不朽の名作から学ぶべきこと

『リア王』は、血縁の絆と人間の弱さ、そして悔悟と救済をテーマとした悲劇です。リアの物語は、権力への傲慢さと家族への愛情の対立から生まれる悲劇と言えるでしょう。追放したコーディーリアを赦し、和解するまでの過程は読む者の心を揺さぶります。
全てを失った時に初めて、真の愛の尊さに気づくリア。彼の人生は、私たち現代人にも通じる、深い教訓を示唆しています。また、エドマンドの野心や、グロスターの悲劇的な運命なども、欲望の恐ろしさを物語っています。
シェイクスピアは登場人物を通して、人間の愚かさと、同時に悟りの可能性を示唆しているのです。『リア王』から私たちが学ぶべきは、何よりも謙虚さと赦しの大切さではないでしょうか。
傲慢と偏見に陥ることなく、愛する人を信じ続けること。たとえ過ちを犯しても、最後まで希望を捨てないこと。この作品が示す普遍的なメッセージは、現代を生きる私たちの心にも、静かに、しかし強く響いてくるはずです。
『リア王』が投げかける問いは、家族とは、人生とは何かということ。この問いに向き合うことで、私たち一人一人が、自らの生き方を見つめ直すきっかけとなるでしょう。シェイクスピアが描く人間ドラマは、400年以上の時を超えて、今なお輝きを放ち続けているのです。