【ネタバレあり】衝撃のラスト!『パラサイト』のあらすじを徹底解説

目次

『パラサイト』基本情報|あらすじを読む前に

ポン・ジュノ監督による、第92回アカデミー賞作品賞を受賞

「パラサイト」は、韓国の巨匠ポン・ジュノ監督による2019年の作品です。本作は第92回アカデミー賞において、作品賞、監督賞、脚本賞、国際長編映画賞の4部門を制するという快挙を成し遂げました。とりわけ作品賞の受賞は、韓国映画として史上初の快挙。ポン・ジュノ監督の過去の代表作には「殺人の追憶」「グエムル 漢江の怪物」「マザー」などがありますが、「パラサイト」の世界的評価は、監督の新たな代表作となったと言えるでしょう。

貧富の格差と階級問題を鋭く風刺したブラックコメディ

「パラサイト」は、現代韓国社会に蔓延る貧富の格差と、根深い階級問題を鋭くついた問題作です。しかし、その一方で、シリアスなテーマをブラックユーモアたっぷりに描くことで、観客を笑わせ、驚かせてくれる娯楽作品でもあります。ポン・ジュノ監督の真骨頂とも言える、社会派エンターテイメントの傑作と評されるのも頷けます。作中では「半地下」という言葉が象徴するような、貧しい家族の住まいや生活ぶりが赤裸々に描かれる一方、「富裕層」の暮らしぶりとの対比が印象的。「寄生」や「計画」といったキーワードにも注目です。

『パラサイト』あらすじ①|貧しいキム一家と裕福なパク一家

半地下の家で暮らす、貧しいキム一家

物語の主人公となるのは、キム・ギテク、チュンスク夫妻とその息子ギウ、娘ギジョンの4人家族です。彼らは都市の片隅にある、陰湿な半地下の家に暮らしています。父親のギテクは元運転手でしたが今は無職、母親のチュンスクも職を転々としながら日銭を稼ぐ毎日。大学生のギウと高校生のギジョンも、安定した仕事には就けず、団地の近くから漏れ聞こえるWi-Fiを拾っては、どうにか携帯電話を使う日々を送っています。家の窓からは酔っ払いが用を足す姿が見え、部屋の隅にはゴキブリが出没する、そんな苛酷な生活環境が、キム一家の日常なのです。

高級住宅街の邸宅に住む、裕福なパク一家


一方、本作でキム一家と対峙するのが、IT企業の社長を務めるパク・ドンイクとその妻ヨンギョ、そして子供のダソンとダヘの4人家族です。パク一家の自宅は、高級住宅街の一等地に建てられた豪奢な邸宅。美術品がずらりと飾られたインテリアからは、上流階級の暮らしぶりが伺えます。専用の家政婦を雇い、子供たちは英才教育を受けさせるなど、パク家の日常はキム一家とは雲泥の差があります。物語は、このあまりにもかけ離れた2つの家族の接点から動き始めることになります。

『パラサイト』あらすじ②|キム一家の “寄生” が始まる

キム・ギウ、パク家の家庭教師に

貧しい日々を送るキム一家に、ある知らせが舞い込みます。それはギウの学生時代の友人ミニョクから、パク家での家庭教師のアルバイトを紹介されたことでした。ミニョクは留学が決まっており、自分の代わりにギウを推薦したいというのです。学歴詐称をためらうギウでしたが、高額な報酬を知り、ミニョクに協力を求めます。ギウは友人が用意してくれた卒業証明書を改ざんし、面接ではあたかも優秀な大学生であるかのように振る舞います。見事にパク家を欺き、ギウはパク家の長男ダソンの家庭教師に採用されるのでした。

妹のギジョンを、美術教師としてパク家に送り込む

パク家での仕事をこなすうち、ギウは次なる策を思いつきます。妹のギジョンをパク家の次男ダヘの美術講師として送り込もうと考えたのです。ギウはパク家でダヘの絵の才能を見出したと告げ、優秀な美術教師の紹介を提案。わざとらしい芝居で、母親のヨンギョをその気にさせます。彼女もまたパク家に”寄生”することに成功します。こうしてキム家の兄妹は、うまくパク家に取り入るのでした。

父のギテクと母のチュンスクも、パク家で職を得る

両親もパク家への”寄生計画”に加わります。まずは父親のギテクが、パク社長の運転手の座を狙います。ギジョンはわざと自分の履いていた下着を車内に脱ぎ、これを発見したドンイクは運転手が女性と密会しているのではないかと疑い、運転手を解雇します。こうしてギテクが、新たな運転手に収まるのです。一方、チュンスクは家政婦の座を手に入れようと、現在の家政婦が解雇されるよう働きかけます。彼女にアレルギー反応を引き起こすよう細工を施し、体調不良を装わせることで解雇に追い込みます。そしてチュンスクが、家政婦の座に納まるのでした。

『パラサイト』あらすじ③|追い詰められるキム一家

かつてのパク家の家政婦が現れ、地下室の存在が明かされる

順風満帆にパク家での生活を送るキム一家でしたが、ある雨の日、思わぬ訪問者が現れます。かつてパク家で家政婦として働いていたムングァンです。彼女はパク家の地下室に、夫が隠れ住んでいることを告白。実は彼は多額の借金を背負い、債権者から逃れるため、ムングァンに頼んでこの地下室に匿ってもらっていたのです。ムングァンは現在のパク家の家政婦であるチュンスクにこの事実を打ち明け、夫の居場所を秘密にしておくよう頼みます。

家政婦の夫の存在が発覚、キム一家の正体がバレる危機に

ムングァンの暴露に驚きを隠せないキム一家。しかし皮肉なことに、隠し事をしていたのはキム一家自身も同じでした。彼らは必死にムングァンを帰そうとしますが、その慌てぶりは逆にムングァンを怪しませてしまいます。さらに、突如豪雨に見舞われたパク一家が予定を切り上げて帰宅してきたのです。キム一家は窮地に立たされますが、ソファーに隠れるなどして、なんとかやり過ごします。

パク家の子供の誕生パーティ当日、予測不能の事件が連続で起こる

キム一家は、パク家の末っ子ダソンの誕生日パーティの準備に駆り出されます。パーティでは、ギウが地下室に下りた際グンセに襲われ気絶してしまいます。その後、グンセはパーティに乱入し、ギジョンを刺します。母チュンスクがグンセを刺し返し、会場は大パニックに陥ります。

パク社長がキム家の父ギテクに、気絶したダソンを運び出すための車のキーを投げますが、それがグンセの下に落ちます。キーを取ろうとグンセに近づいたパク社長は、その臭いに顔をしかめ、その表情を見たギテクはパク社長を刺してしまいます。

ラストでは、短時間のうちに次々と人が死んでいく壮絶な展開となります。

『パラサイト』衝撃のラストシーン|その後どうなった?

キム・ギテク、地下室での幽閉生活

逃亡の末、ギテクは結局パク家の地下室に身を潜めることになります。ムングァンの夫と同じように、地下室の隠れ家に潜伏したのです。皮肉なことに、追い詰められた彼の末路は、寄生先だったパク家での幽閉生活だったのです。

キム・ギウ、父を救い出すため決死の計画を立てる

ギウは、ホームレスのような生活を送りながらも、父親の所在を探し求めます。そしてついに、パク家の地下室にいる父親の存在を突き止めるのです。ギウはなんとか父親を救出しようと、どうにかして豪邸を買い取り、父を解放する計画を立てるのでした。

『パラサイト』に登場するシンボル|石、臭い、階段の意味は?

キム一家に贈られた「山水景石」が象徴するもの

物語の序盤で、キム一家に「山水景石」と呼ばれる石が贈られます。真面目に勉学に励み、立身出世を遂げるようにとの意味が込められたこの石。しかし、その言葉とは裏腹に、キム一家が取った方法は、詐欺的な手段でした。この皮肉な対比は、貧困から抜け出す術を持たない彼らの悲哀を浮き彫りにしています。「山水景石」は、キム一家にとって永遠に手の届かない成功の象徴なのです。

キム一家を蔑むパク社長の言葉「くさい」の意味

作中、パク社長はキム一家のことを「くさい」と表現します。それは単なる体臭を指しているのではありません。むしろ、下層階級である彼らに対する、差別的な嫌悪感の表れなのです。上流階級の人間であるパク社長にとって、キム一家は自分たちとは異なる「臭い」を放つ、忌むべき存在。この言葉には、絶対的な階級の壁を感じさせずにはいません。

2つの家を結ぶ「階段」が表す、超えられない階級の壁

「パラサイト」では、キム家とパク家という2つの異なる階級の家が、「階段」によって結ばれています。高台にあるパク家と、半地下のキム家。その間にある長い階段は、まさに両者の距離を象徴しているかのようです。キム一家は階段を上ることで、一時的にパク家の世界に紛れ込むことができます。しかし、どれほど上っても決して同じ地平に立つことはできない。その不可逆的な格差を、この「階段」は雄弁に物語っているのです。

『パラサイト』が投げかける問いかけとは

格差社会の中で、貧困層はどう生きればいいのか

「パラサイト」は、徹底した格差社会の中で、貧困層がどのように生きていけばいいのかを問いかける作品です。キム一家が見せた、寄生のような生き方は、果たして彼らに残された唯一の道だったのでしょうか。教育も十分に受けられず、安定した職に就くこともできない。そんな過酷な状況に押し込められた彼らには、他にどんな選択肢があったのでしょうか。本作を通して、ポン・ジュノ監督は現代社会の貧困問題に一石を投じているのです。

本当の意味での「家族」とは何か

「パラサイト」のもう一つのテーマは「家族」です。作中、キム一家はパク家に寄生することで、一時的な”幸せ”を得ます。しかしそれは、飽くまで偽りの関係性に基づくものでした。対するパク家の家族愛も、果たして本物と言えるのか。妻子を愛しているように見えるパク社長も、いざという時には家族より自分の保身を優先します。こうした両家の在り方を通して、血のつながりだけが「家族」ではないこと、そして本当の絆とは何かを、私たちは問われているのです。境遇の違いを超えて、人と人とが心を通わせること。この作品は、そんな”理想の家族”の形を探し求めているようにも思えます。