【ネタバレあり】「ディアハンター」のストーリーを時系列で完全解説!ラストの意味とは?

「ディアハンター」のストーリーを時系列で解説!

ペンシルベニア州クレアトンが舞台

物語の舞台はペンシルベニア州クレアトン。主人公のマイケル、ニック、スティーヴンという3人の製鉄所労働者の日常が描かれます。彼らはロシア系移民の子孫で、休日には山で鹿狩りを楽しむ仲良し3人組。一方、ベトナム戦争の影が次第に迫ってきます。
当時のアメリカではベトナム反戦運動が盛んになる一方、多くの若者が次々と戦地に送られていきました。マイケルたちもいつ召集されるかわからない、不安な日々を過ごしていたのです。

ニックとリンダの婚約、そして親友3人のベトナム出兵

ついに3人に召集令状が届きます。出兵前夜、スティーヴンとアンジェラの結婚式が行われ、そこでニックはリンダにプロポーズ。幸せいっぱいのシーンです。
翌日、マイケル、ニック、スティーブの3人で最後の鹿狩りへ。マイケルは見事な腕前で大物の鹿を仕留めます。この狩りのシーンには、のちの戦場でのエピソードとの関連性が暗示されています。
3人はこうしてベトナムの地へと旅立つのでした。

ベトナムでの過酷な体験 – 北ベトナム軍の捕虜となる3人

ベトナムでもマイケルたちは偶然再会を果たしますが、北ベトナム軍の捕虜となってしまいます。彼らは、北ベトナム兵にロシアンルーレットを強要されるのです。
ロシアンルーレットとは、弾倉に1発の弾を込めた拳銃を頭に当てて引き金を引くという恐ろしい賭博。マイケルたちは死の恐怖に怯えながら、この地獄のようなゲームを強いられます。
最終的にマイケルの機転で脱出に成功しますが、この壮絶な体験が3人の人生を大きく変えてしまったのです。

ニックの消息は?マイケルの帰郷とその後

アメリカに帰還後、マイケルとスティーヴンは戦争の記憶に苦しめられます。一方ニックの消息は分からないままでした。
ある日、スティーヴンのもとにサイゴンからニックの送金があったことを知ったマイケルは、ニックを連れ戻すためサイゴンへ向かいます。
サイゴンの違法賭博場でニックを見つけるマイケル。しかしそこでニックはロシアンルーレットに興じる姿で…。

サイゴンの地下賭博場で再会するマイケルとニック

マイケルはニックを説得しようとしますが、ニックは麻薬でボロボロの状態。マイケルの姿も認識できないほどでした。
ついにゲームが始まり、自ら志願したマイケルとニックが対戦することに。マイケルは涙ながらに必死で説得を試みますが、ニックは引き金を引いてしまいます。銃声が鳴り響き、ニックはそのまま息絶えてしまうのでした…。
ディアハンター最大の見せ場であり、ニックの悲劇的な最期を描いたシーンと言えるでしょう。親友を失ったマイケルの嘆きと怒りが胸を打ちます。


1978年公開当時、ベトナム戦争に対するアメリカ国民の関心は低調でした。しかしディアハンターは、ベトナム帰還兵の苦悩を赤裸々に映し出し、大きな話題を呼びました。

ストーリーを追っていくと、戦争によって引き裂かれる人間ドラマが浮かび上がってきます。アカデミー賞に輝いた名作の数々のシーンが、今も色褪せない理由がよくわかるはずです。

ニックを失ったマイケルと仲間たち – ラストシーンの解釈

ニックの葬儀でのマイケルの姿から読み取れること

親友ニックを失い、ベトナムから遺体を連れ帰ったマイケル。ニックの葬儀では、彼の呆然とした姿が印象的でした。
ここには、ただ親友を失った悲しみだけでなく、ベトナム戦争という非日常の世界に巻き込まれ、大切なものを失った無念さやむなしさもにじんでいます。
かつては何事にも動じなかった強いマイケルが、喪失感に打ちのめされ、言葉を失っている姿からは、戦争がいかに人の心を蝕んでいくのかがわかります。
故郷で鹿狩りを楽しんでいた無邪気な青年時代は、もはや遠い過去の出来事のようです。

『ゴッド・ブレス・アメリカ』を歌う意味とは

葬儀の後、親友たちはジョンの酒場に集まり、「ゴッド・ブレス・アメリカ」を合唱します。マイケルも口ずさみながら、ニックとの思い出に浸るのでした。
このセレクションは、単に故人を偲ぶだけの歌ではないでしょう。ベトナムの地で何を見て、何を失ったのか。帰還兵たちの心の傷は計り知れません。
「神よ、アメリカを祝福したまえ」という歌詞は、今のアメリカ社会に対する一石にも聞こえてきます。果たしてベトナム戦争は何だったのか。国を愛しながらも、多くの若者の命が失われた現実を、私たちはどう受け止めればいいのか。
ディアハンターは、そんな問いを投げかけている作品なのかもしれません。


ちなみに「ディアハンター(鹿狩りの名手)」というタイトルにも、重要な意味が込められています。
マイケルが鹿狩りの名手だったように、戦場では兵士たちが獲物となります。そして、その犠牲となったのは、ニックを始めとする多くの若者たちでした。
また、ベトナムに行く前のマイケルは、鹿を仕留める時に1発で頭を撃ち抜く曲者でしたが、戦地から戻ると、もはや引き金を引くことができなくなっていました。殺戮の日々によって、彼の心には大きな傷が残ったのです。
こうしてディアハンターを観ると、それは単なる戦争映画ではなく、愛と喪失、戦争と平和、といった人間の普遍的なテーマを描いた作品だと気づかされます。
ラストシーンは、マイケルの心の再生を描いているとも言えるでしょう。これからは戦争の記憶と向き合いながら、どう生きていくのか。ニックという親友の死を無駄にしないため、マイケルは歩み始めるのです。

「ディアハンター」のキャスト

マイケル(演:ロバート・デ・ニーロ)


本作の主人公マイケルを演じたのは、名優ロバート・デ・ニーロです。デ・ニーロは本作で、アカデミー主演男優賞にノミネート。
無口で男気のあるスチール労働者という役柄を、静かな佇まいの中に秘めた激しい感情で見事に体現しました。
親友を失ってもなお、強さを失わないマイケルの姿は、デ・ニーロの内面から迸る演技によって、より一層リアリティを帯びています。
この頃からデ・ニーロは、ハリウッドきっての演技派として高い評価を受けるようになりました。

ニック(演:クリストファー・ウォーケン)

狂気に囚われた青年ニック役を熱演したのは、クリストファー・ウォーケンです。
ウォーケンはニックの心の闇を剥き出しにするかのような、剥き出しの感情をぶつける演技で観る者を圧倒。アカデミー助演男優賞を射止めました。
マイケル役のデ・ニーロとは、本作以降も盟友として幾度となく共演を果たしています。穏やかな狂気を体現する独特の存在感で、スクリーンに強烈な印象を残しました。

スティーヴン(演:ジョン・サヴェージ)

穏やかな人柄のスティーヴン役は、ジョン・サヴェージ。長身で優しげな風貌のサヴェージは、ディアハンターでも存在感を発揮しています。
スティーヴンは戦争で両足を失うという悲劇に見舞われますが、それでもマイケルたちとの友情を失わない健気さを見せてくれます。
マイケル、ニックときらめくようなスター性を放つ2人に挟まれながらも、脇を固める好演技でした。

リンダ(演:メリル・ストリープ)

ディアハンターは、若き日のメリル・ストリープにとって記念碑的な作品の1つと言えるでしょう。
もともとリンダは脇役だったのですが、監督のチミノはストリープの才能を見抜き、役作りに参加するよう指示。
「自分でリンダのセリフを書いてみてくれ」と頼んだのだとか。その結果、ストリープはアカデミー助演女優賞にノミネートされることになりました。
透明感のある美しさと、凛とした強さを感じさせる演技は、初期から高い評価を得ていたストリープならではのもの。
デ・ニーロやウォーケンら豪華共演陣に負けない輝きを放っています。


監督のマイケル・チミノは、脚本を深く理解できる役者を選んだと語っています。実際キャストたちは1か月間、徹底的にリハーサルを行ったそうです。
役者同士の息もぴったりで、スクリーン狭しと繰り広げられる人間ドラマは圧巻の一言。名優たちが織りなす心理戦は、まさに白熱のバトルと呼ぶにふさわしいでしょう。

「ディアハンター」のその他のトリビア

興行的成功と批評家からの評価

ディアハンターは全米公開された1978年、批評家から絶賛される一方で興行的にも大ヒットを記録しました。
予算1500万ドルに対し、国内興行収入は5000万ドル近くを稼ぎ出したのです。

第51回アカデミー賞では、作品賞を含む5部門を制覇。チミノ監督の手腕が高く評価されました。
戦争映画の傑作として、今なお多くの映画ファンに愛され続けています。

アカデミー賞での「ディアハンター」


アカデミー賞でディアハンターが5部門を制した中には、作品賞の他に監督賞、助演男優賞、編集賞、音響賞が含まれます。
難産の末に生み出されたチミノ監督の熱意が報われた瞬間でした。
助演男優賞に輝いたのはクリストファー・ウォーケン。狂気を感じさせるニック役が高く評価されました。
編集と音響でも賞を獲得するなど、技術面でも高い完成度を誇る作品と言えるでしょう。

「ディアハンター」から受ける戦争映画としてのメッセージ

公開当時、ディアハンターはベトナム人の描写をめぐって人種差別だと抗議を受けるなど、物議を醸しました。
しかし本作は単にベトナム戦争を描いただけの作品ではありません。戦争によって引き裂かれる人間ドラマ、愛と友情の物語でもあるのです。
ラストで流れる「ゴッド・ブレス・アメリカ」には、変わり果てたアメリカ社会への疑問が投げかけられているようにも感じられます。
ディアハンターが問いかけているのは、戦争の傷跡と、それを乗り越えて生きるということ。私たち観客に問いかけてくる、優れた反戦映画と言えるでしょう。