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『大怪獣のあとしまつ』のあらすじとネタバレ
巨大怪獣の突然の死と、残された死体問題
突如出現した巨大怪獣が、東京を襲撃。しかし、渋谷のスクランブル交差点で動きを止め、大きな光に包まれ、そのまま即死してしまいます。これまでの特撮作品とは一線を画す衝撃的な展開です。
残された超巨大な死体は、やがて腐敗し、ガスを発生させ、いつ爆発してもおかしくない状況に。政府は死体の始末に頭を悩ませます。
特務隊員・帯刀アラタの奮闘
政府は、巨大怪獣対策の特務機関に所属する帯刀アラタに死体の後始末を命じます。アラタは元恋人の環境大臣秘書・雨音ユキノ、かつての同僚たちと再び死体の謎に挑みます。
アラタたちは、死体を冷凍する作戦、爆破して海に流す作戦など、様々な方法を試みますが、なかなかうまくいきません。そんな中、死体から発生したガスを浴びた人から、奇妙なキノコが生えてくる現象が発生します。
政府の対応と国民の反応
怪獣の死骸をどう始末するかで、政府内でも意見が分かれます。環境大臣の蓮佛は、死骸には放射能などの危険性はないとして、観光資源としての活用を主張。一方、官房長官は一刻も早い処理を求めます。
世論も二分され、死骸の存在に不安を感じる人々と、「希望」と名付けられた死骸に愛着を感じる人々に分かれます。死骸は「ウンコ」なのか「ゲロ」なのかという、不毛な議論まで巻き起こります。
様々な死体処理作戦と結果
アラタたちが試みた主な作戦は以下の通りです。
- 死体を冷凍する作戦 → ガス発生を止められず失敗
- 爆破して海に流す作戦 → 川の上流のダムを爆破したが、作戦は失敗に終わる
- 焼却炉の煙突のような管を死体に刺して、ガス抜きをする作戦 → ガス抜きには成功するが…
どの作戦も、死体のスケールの大きさゆえに、思うような結果は得られませんでした。
ラストシーンの意味を考察
アラタが最後の作戦で死体の頂上に立った時、スマートフォンをかざし、「デウス・エクス・マキナ」と叫びます。すると、怪獣の死体は光に包まれ、消滅してしまいました。
「機械仕掛けの神」を意味するこの言葉は、ギリシャ悲劇などで、どうしようもない状況を神の力で解決してしまう、唐突な結末を指す言葉です。アラタの叫びは、今回の事件の唐突な幕引きを自虐的に表現しているのかもしれません。
また、「選ばれし者」というアラタの設定や、光に包まれて消える最後のシーンには、宗教的なメタファーも読み取れます。人知を超えた存在である怪獣を前に、人間の悩みは小さく見えます。理不尽に思える現実世界を生きる我々に、監督は独特のメッセージを送っているのかもしれません。
三木聡監督の特徴的な手法と演出
コメディ映画に特撮を融合させた斬新な発想
本作の最大の特徴は、コメディ映画と特撮映画という、一見結びつきにくいジャンルを見事に融合させた点にあります。巨大怪獣との死闘という、重厚なテーマを扱いながらも、所々に笑いの要素を散りばめ、娯楽性の高い作品に仕上げています。
例えば、政府が怪獣の死骸を「希望」と命名したり、死骸のガスが「ウンコ」なのか「ゲロ」なのかで議論が白熱したりと、シリアスな場面にもブラックユーモアが随所に盛り込まれています。
テンポの良い会話劇とユニークなキャラクター
三木監督の作品の特徴として、登場人物たちの小気味良い会話劇が挙げられます。本作でも、政府高官たちによる会議のシーンなどで、各キャラクターの個性が存分に発揮されています。
主人公のアラタを演じる山田涼介は、クールな役柄の中にコミカルな一面ものぞかせ、ヒロインの土屋太鳳との掛け合いも楽しい。怪演が光る濱田岳、ふせえり、岩松了ら三木組常連の面々も、本作の大きな魅力となっています。
映画の見どころと評価
豪華俳優陣の競演
本作には、山田涼介、土屋太鳳といった人気若手俳優から、西田敏行、オダギリジョーら大御所まで、豪華キャストが勢揃いしています。特に、西田敏行が演じる総理大臣は、コミカルでありながらどこか憎めない魅力があります。
また、『ゴジラ』シリーズのスタッフが特撮を手がけており、映像面でのクオリティの高さも本作の大きな見どころです。
現代社会への風刺とメッセージ性
本作は、笑いを誘いながらも、現代社会への鋭い風刺の目線を持っています。特に、政府の対応や世論の反応など、パニックに陥った社会の描写は、リアリティがあります。
また、「希望」と名づけられた怪獣の死骸は、人々に災いをもたらしつつも、ある種の存在意義を感じさせます。理不尽な出来事に翻弄されながらも、なお希望を見出そうとする人間の姿が投影されているようです。
「デウス・エクス・マキナ」というラストの演出の効果
物語のクライマックスで繰り出される「デウス・エクス・マキナ」というご都合主義的な解決には、賛否両論あるでしょう。唐突に感じられる一方で、現実で起こる理不尽な出来事に、人間は無力で翻弄されるだけなのかもしれない、という諦観も感じさせます。
このブラックユーモアに通じる結末は、三木監督の世界観が凝縮されていると言えます。一見荒唐無稽に見えて、深いメッセージ性を感じさせるラストシーンは、観る者に様々な解釈を委ねています。
まとめ
『大怪獣のあとしまつ』は、ありえないシチュエーション設定とブラックユーモアで観客を唸らせる、三木聡監督らしい意欲作です。パニックに陥る社会の縮図と、そんな状況下でも懸命に問題解決に当たる人々の姿が印象的でした。
終盤、「デウス・エクス・マキナ」とばかりに繰り出される唐突な結末は、現実の不条理さの前に無力な人間の姿を暗示しているのかもしれません。本作は、特撮とコメディの異色の組み合わせで、我々に数々の問いを投げかける、示唆に富んだ秀作だと言えるでしょう。