『哭悲(こくひ)/THE SADNESS』衝撃のネタバレ解説!グロ描写に隠された問題提起とは?

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『哭悲/THE SADNESS』作品情報

基本情報

『哭悲/THE SADNESS』は、2021年に公開された台湾のホラー映画です。監督はカナダ出身のロブ・ジョバスが務めました。出演は、レジーナ・レイ、ベラント・チュウなどの実力派キャストが名を連ねています。上映時間は99分。過激な暴力・グロテスク表現が含まれるR18指定作品となっています。

映画のテーマは、パンデミック下で理性を失い、暴力に支配された人間社会の末路。タイトルの「哭悲(こくひ)」は、文字通り「悲しみ」を表しており、感染した人々が涙を流しながら残虐な行為に及ぶ姿を象徴しています。
政府の無策ぶりや科学者の無力さ、理性を失った人々の醜悪さなどを容赦なく描写。人間性の闇に迫る問題作として世界中で話題となりました。

『哭悲/THE SADNESS』あらすじ

(C)麻吉砥加スタジオ

感染拡大前〜パンデミック勃発

物語の舞台は、新型ウイルス「アルヴィン」が流行する現代の台湾。街では感染者が徐々に増加し、人々は感染を恐れながらも普段の生活を続けていました。
主人公は、大学生のカイティンとその恋人ジュンジョー。ある朝、2人は感染者による恐ろしい事件の現場を目撃します。その直後、ジュンジョーが立ち寄ったカフェでも感染者が暴れ出し、店内は血の海に。街は一変し、パニックに陥ります。

一方、ウイルス研究の第一人者ウォン博士は、感染が拡大していることを警告。しかしその矢先、博士自身が何者かに襲われ、研究も暗礁に乗り上げてしまうのでした。

パニックが街を支配する

ウイルス感染が確認されたことで、人々の日常は崩壊します。地下鉄の車両では若い男が乗客を襲撃。リーシンという女性の片目をえぐり出し、そこに性器を挿入するという凄惨な事件が発生しました。

一方、ジュンジョーも感染者に襲われ、指を切断されるなど重傷を負います。カイティンは彼を心配しつつ、無事を祈るしかありません。
街は混沌とし、至る所で殺人や強姦などの凶悪事件が横行。警察も政府も、感染拡大を抑えることができません。カイティンは絶望しながらも恋人との再会を信じ、生き延びようともがきます。

『哭悲/THE SADNESS』結末までのネタバレと見どころ

主人公カイティンの地獄のような一日

大学に避難したカイティンは、そこでリーシンと再会。ビジネスマン風の男によって片目を失明したリーシンと協力し、生き延びようとします。

しかしその直後、件のビジネスマンが再び現れ、リーシンをレイプ。カイティンもまた、彼に襲われそうになります。なんとか逃げ出した彼女でしたが、病院で待ち構えていたのは、理性を失った医師や患者たちでした。
そこは文字通り地獄絵図。至る所で残虐行為が行われており、カイティンは戦慄します。そんな中、ウォン博士を発見。世界を救う抗体を持つ、と語る博士に導かれ、屋上を目指すのです。

アルヴィンウイルスの真の恐怖

ウォン博士の説明によれば、アルヴィンウイルスの本当の恐ろしさは以下の通り。

  • 感染力が非常に強く、体液や唾液から感染する
  • 理性を失わせ、性的欲求や暴力性を極限まで高める
  • 一方で罪悪感や道徳心は残るため、感染者は泣きながら残虐行為に及ぶ

こうした感染者の姿は、人間の本能がむき出しになったものと言えます。理性を失っても自我は残る、というウイルスの性質が、感染者をさらに狂気に駆り立てているのです。

衝撃の結末

一方、ウォン博士自身も感染していました。抗体の存在は嘘であり、カイティンを「人類最後の希望」と騙して連れ出したのです。

カイティンを待ち受けていたのは、感染したジュンジョー。理性を失った彼は、涙を浮かべながらも、カイティンを殺そうとします。逃げる彼女を追い詰めた彼は、「愛してる」と言葉を残し、ナイフを振り下ろすのでした。
結末では、ヘリコプターの音が聞こえる中、ナイフを持ったジュンジョーがカイティンに迫る姿が映し出されます。彼女の運命や、感染拡大の行方は、観る者の想像に委ねられるのです。

『哭悲/THE SADNESS』のタイトルに込められた意味

「哭悲」とは何か

「哭悲」という言葉は、中国語で「号泣」を意味します。つまり「哭」は泣く、「悲」は悲しむ、という意味合いがあるのです。

この作品では感染者が、自らの行為を悲しみながらも止められない姿が印象的。彼らは泣きじゃくりながら凶行に及んでおり、まさに「哭悲」という言葉がふさわしい状態だと言えます。

本作のタイトルが表すもの

この映画のタイトルは、人間の本能と理性の狭間で苦しむ感染者の姿を表しています。通常、人は理性によって本能を制御し、道徳的であろうとします。

しかし本作では、その理性が失われた状態で本能がむき出しになる恐怖を描いています。しかも感染者は自らの行動を認識しているため、それを悲しむことしかできません。つまり彼らは本能と理性、悪と善の間で引き裂かれているのです。
こうした感染者の姿を通して、人間の心の弱さや脆さを浮き彫りにしているところに、「哭悲」というタイトルの意味があるのでしょう。

『哭悲/THE SADNESS』の本当のテーマと監督の問題提起

理性を失った人間の姿

本作が問いかけているのは、「理性を失った人間とは何か」ということ。感染者たちは自らの意思とは裏腹に、暴力や性犯罪などの残虐行為に及びます。

彼らの中には家族を殺めてしまう者もおり、人として最後の良心の名残を留めているからこそ、激しく後悔し涙するのです。しかし結局のところ彼らは本能に突き動かされるままで、最低最悪の行動を取り続けます。
こうした感染者の姿は、理性という人間の核となる部分を剥がされ、衝動のみが残った人間の末路を象徴しているのでしょう。

パンデミックが暴く醜い人間性

監督は本作を通して、「パンデミック下で見えてくる、醜悪な人間の本性」を暴こうとしているようです。

感染が広がる中で、為政者は無策を貫き、科学者は無力さを嘆くばかり。一方、感染者は凶行の限りを尽くし、非感染者もまた我先にと避難を試みます。こうした登場人物の行動は、平時の仮面を剥がされた人間の弱さや醜さを表しているのかもしれません。

本作が「極限状態における人間の真の姿」を問うているのは、パンデミックという非日常が、私たちの内なる本性を浮かび上がらせるからなのです。

ロブ・ジョバス監督の意図

ロブ・ジョバス監督は、『哭悲』を「パンデミック映画の新たな形」と位置付けているそうです。

従来のパンデミック映画が描いてきたのは、感染の脅威や社会の混乱でした。しかし本作は、感染によって引き起こされる「人間の狂気」そのものに焦点を当てています。
理性を失っても自我が残る、というアルヴィンウイルスの設定は、まさに人間の本能と理性の相克を浮き彫りにするためのものです。そして監督は、こうした人間の本質的な部分に切り込むことで、パンデミック映画に新たな深みをもたらしたのです。

まとめ:あなたはこの映画から何を感じ取るか

本作が突きつける問い

『哭悲』が投げかける問いは、「理性を失った時、人間は何になるのか」です。

感染者の凄惨な行動は、現代人が日常の中で隠し持っている本能の力を象徴しています。彼らを突き動かしているのは、性衝動や暴力性といった、文明によって抑圧されてきた人間の根源的な部分なのです。

つまり、パンデミックという極限状態の中で剥き出しになる感染者の姿は、私たち自身の心の奥底に潜む「理性なき本能」を表しているのかもしれません。

鑑賞後に考えさせられること

本作は、欲望のままに動く感染者を通して「人間とは理性の存在なのか、本能の存在なのか」という問いを提示しています。

日常では善良であっても、理性を失えば誰もが感染者のような存在になり得るのです。その意味で、彼らの狂気は私たち自身の心の闇でもあるのかもしれません。

そして、もしパンデミックによって秩序が失われたら、私たちはどのような姿を見せるのでしょうか。本作は、そうした人間の本質をめぐる問題を、あなた自身に問いかけているのです。